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竹本摂津大掾・六代豊澤廣助

            
       

 レコードが発明されてから、明治40年に日米蓄音機製造株式会社(後身が日本蓄音器商会)が設立され国産のレコードに移行するまでの間、レコードは輸入されていました。海外メーカーが録音技師を出張させ録音原盤を作るという出張録音が行われ、その後商品レコードが送られてきました。その一部は最近、全集 日本吹込み事始(CD)という形で復刻されたことは御存じの方も多いと思います。このような出張録音の中で義太夫ものとして記念碑となるものといえば、やはり御霊文楽座紋下・竹本摂津大掾と六代豊澤廣助の本朝廿四孝・十種香の段でしょう。明治38年に録音され、おそらく翌年に希望者だけに発売されたと思われます。銀座・天賞堂と浅草・三光堂が輸入販売元です。かなり録音の質が悪いですが、雑音のかなたに摂津大掾の美声を聞くことができます。しかし摂津大掾はその出来に不満で、この技術に対する不信が弟子の三代越路太夫にも影響したと考えられています。

                 

三光堂発売、片面SP 6面のうち其一

             

 明治の大名人として人気と尊敬を集めた摂津大掾は大正2年4月に引退披露をし、その後須磨の別宅へ引蘢り、大正6年に82歳で生涯を閉じています。一方、引退後の六代豊澤廣助は後進の指導に活躍しました。そして大正11年には名庭絃阿弥と改名し、大正13年3月、三巨頭時代と入れ代わるように世を去ったのでした。

                

大正2年4月 御霊文楽座 紋下 竹本摂津大掾 (番付状態悪し)

この興行で竹本摂津大掾は楠昔噺を語り、六代豊澤廣助とともに引退している。

                

番付 明治末期の文楽座

明治43年5月 松竹 御霊文楽座にて 八陣守護城。陣容は太夫 摂津大掾、九代染太夫、三代越路太夫、三代南部太夫、三代津太夫(二代津太夫は引退して七代綱太夫)、ニ代古靱太夫、三味線 六代廣助、六代吉兵衛、三世清六、四世猿糸。

              

参考(雑誌 文楽芸術から)

摂津大掾 引退後の居住地 須磨別邸

第二号表紙 昭和十六年十月 この月の興行は摂津大掾廿五忌追善、また、この時期に三代津太夫没後、二代豊竹古靱太夫が新紋下に正式決定する。

                

第二号図録 在りし日の竹本摂津大掾

               


明治・大正初期補遺(二代津太夫、九代染太夫、三代南部太夫)

                

床本 ニ代竹本津太夫(法善寺)

 源平布引滝 松波琵琶の段 津太夫 七代目竹本綱太夫署名 形見分与の記述

                

SPレコード1 

 コロンビア片面レコード 堀川 二代津太夫 裏面

             

 浄瑠璃雑誌 百七號

大正元年七月 この月に明治より大正に改まる。ほぼ同時期に、七代綱太夫(法善寺の津太夫)逝去、訃報記事より。

              

SPレコード2

ヨシノ両面レコード 絵本大功記 十段目 九代竹本染太夫 六代豊澤広作。

                

SPレコード3

ニッポノホン両面レコード 菅原伝授手習鑑 三代竹本南部太夫 四代豊澤猿糸。

                   


参考文献: 『義太夫年表大正篇』、『今日の文楽』、『文楽芸術 第貮號 昭和16年』、『竹本摂津大掾』

 追記: 雑誌『文楽芸術 第1号〜13号』には安原仙三氏による『摂津大掾のレコード』並びに義太夫レコード談義(一)〜(八)があり、『上方』文楽号、続文楽号の記事の続編になっている。大阪、中之島図書館、書庫にあるので、興味のある方は御一読ください。