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名人のおもかげ資料 法善寺津太夫と先代清六 <対談:高安・友次郎> p23〜35

使われた音源
米コロンビア 近頃河原の達引 堀川猿廻し 二世竹本津太夫 四世豊沢猿糸 部分音源へ 

      

放送日不詳  高安(六郎)、友次郎(六世鶴澤友次郎)

        

高安 友次郎さん、あなた文楽の大先輩として、それからまた三味線の紋下として、この道のいろいろ詳しいことをご存知やが、近代の名人津太夫、今の津太夫さんの 前の前の津太夫さん、あの方の合三味線を長いことやっておられましたが、あの津太夫さんはどんな方でした。
友次郎 二代目津太夫さんは法善寺といふお寺の境内に長年住んでおられましたので 法善寺の津太夫さん 法善寺法善寺といひまして 津太夫さんより法善寺の方がよく通っておりました。折々法善寺さんといはれますために坊さんと間違はれて迷惑されたこともありました。また京都では、お公卿さんお公卿さんといって渾名をつけられました。あの方はお公卿さんの古手みたいな面影があったためでございませう。まことに気楽な朗らかな人でございました。文楽へ入られまして、部屋に居られるときには、若い人たちを集められまして、昔の話をいろ\/可笑しく面白く話されまして、つい話が上手なものですから 若い人たちが夢中になって聞いて居りましたが、終ひに「お師匠さん、今の話は皆あったことですか」と弟子が聞きました。「阿呆言へ そんなことわしが知ったことか」 みんなうそや、今で講釈でして、津太夫さんの一軒おいて隣に 講釈小屋がありましたが、夏やなんか晝寝に出かけられまして 詳しい筈でございます。舞台へ出る前には必ず肩を揉ましました。それに役を勤めますのが、先頃亡くなりました三代目津太夫さん、本名うのこと言ひまして、自分の子供みたいに思って、うのこ、うのこと呼ぶのです。肩揉まして居ることを忘れて、話で夢中になって居ると、例の如く「うのこ、また、どこへ行きやがった」「お師匠さん、わて肩揉んでまっせ」「悪いこと言った。しっかり揉んでくれ」ととても滑稽なんです。ところで津太夫さんのお内儀さんが、至ってやきもちで、評判のやきもちで 折々家を明けられましたら、かみつくやうに喧嘩せられます。近所の人たちは、とめに行くのを倦きてしまって放っておくのでございます。
高安 初代清六の娘さんですね。
友次郎 芸はよく覚えておられました。ああ言ふ娘さんだけに、時折津太夫さんが 「おきく、ここどうやった」と聞かれることがあります。しかしやきもちはなか\/焼きまして、終ひには津太夫さんも、しまいつかんものですから、「おきく、お前さう言ふけれど、人に惚れられるやうな亭主を持ったのが、お前の得やで」といって、「またそんなこと言ふ」と言って、そんなことで納めてしまはれます。
高安 なか\/私らもよく聞きましたが、声は低うてどちらかと言ふと小さいと言ふか、聞こえにくかったけれども、殊に摂津大掾のあのいい声の後へなど出られると、非常に目立ったのですけれども、だん\/語りこまれて聞いて行くと、本当の味が出て来まして、いかにも艶があって、実にうるはしい いいものだと思って居ましたが。
友次郎 晩年は情愛ばかりで語られましたが、若い時分はずいぶん美声で「三勝の酒屋」が得意だったのです。明治二十年から五年間程はあの美声で「二十四孝の四段目」を語りこなしてこられまして、いかにも名人の名人たるところでございませうね。
高安 あの声で、「四段目物」をたっぷり聞かせられましたからね。どないになると思ふと、終ひに行く方が大きくなって来てね。
友次郎 小さいやうですが、私共が隣りで三味線弾いて居りますと、二、三回は鼓膜の破れるほど強い声が出るのです。やはり丹田に力が入って居ります。
高安 張りですね。つまり言ふたら、本当はやはりそこが名人の名人たるところでっしゃろな。「堀川」の合三味線でしたね。
友次郎 始終「堀川」を弾かしてもらって居りました。明治三十一年に文楽で津太夫さんが「猿廻し」を出しました。私が合三味線を勤めました。私は豊沢猿糸と申しました。津太夫さんは定評のある猿廻し、青二才の私もお陰で三味線の評判もよろしゅうございましたが、一寸青二才が得意の鼻を動かしました。ある時津太夫さんが「猿糸さん 今度大変“猿廻し”の評判がいい、お前の三味線も非常によく出来た。しかし“猿廻し”の三味線は、お素人に得なもんや、殊にお前の名前も猿糸、猿の糸と言ふからお前の三味線も評判出たのやぜ」と手酷しいのです。「自慢が芸の行き詰りだから決して天狗になりなや」と言はれて、天狗の鼻がぺしゃんこになりました。
高安 天狗から猿の鼻になったわけですね。しかしなか\/「堀川」と言ふものはええ浄瑠璃で、いろ\/やる方も楽しんでやるのだっしゃろけれども、殊に私ら好きなのは、おしりの出で「半太夫のさはり」とか聞いて居りますが、あの筋もいかにもええと思いますがね。
友次郎 「そら聞こえませね傳兵エさん」も喜ばれますけれども、後のさはりのところも楽しんで語ると言ふふうになって居ります。
高安 情愛の感じがね。それから後、傳兵エが出て来るところですね。あそこの出で、おくりですか、「かねも哀れそ」ですか、あそこのところ しんみりとしたところがついてますね。
友次郎 「かねも哀れそ」と言ふおくりは、摂津太夫さんが、夜泣きうどんのうたひを入れられましたですね。「かねも哀れそ」と言ふところへ
高安 どんなものです。それは
友次郎 一寸やらんとわかりませんがね。今はうどん屋さんの荷物も屋台店になって車がついて居りますが、その時分には荷物擔いで行くのですね。両方に行燈がつきまして眞中に鈴がついて、夜泣きうどんといひますから夜通し表に店を張っていますね。ぢや一寸、下手ですけれども・・・鈴の音が入り、チリーン、チリーンと鳴りますね。「うどーんやあー そばーやあ」と淋しみのあるところですね。「かねーも・・・」かう言ふふうに落ちるのです。うどん屋の売り声を「かねーも・・・」のところへ当てはめて行ったのですね。かういう例は沢山あります。二代目摂津太夫の師匠の春太夫といふ人も名人で、表へ 「のこぎり うすのめ なほしもの」 ですね、のこぎりの目立とうすの目、さういふのが出て来る。その声がいかにもうるほひのある太いええ声ですね。どうぞしてその浄瑠璃の方へ入れこみたいと 始終考へて居られて、商ひの人が来るのを時刻を計って自分が出て聞いてはったのです。それで「思ひつかれた親の仇」とそこへ入れられたのですね。「思ひつかれた親の仇」「のこぎり うすのめ」といふやうになってくる。他にも例は沢山ありますが、また改めてお話し致します。
高安 大阪の売り声ですか それは
友次郎 さうです。
高安 それは面白いですな。この「猿廻し」のレコードですな。このレコードの入れ込みの時分はどんなでしたな。
友次郎 まことに今と違って不完全なもので、入れ場所といふものがございません。ある土蔵の中を借りまして、十畳敷ほどですね。そこで西洋人の技師と、私らの間に粗末な板で境界がしてございます。境界の板に二つの穴があいている。その穴に直径五米、片一方は一尺五寸位なラッパが二つつき出てます。およそ三寸離れて吹き込みます。とにかく西洋人がラッパに触れることを厳禁して居ります。ところが津太夫さんが、首を振るのが癖で、「猿廻し」のまるきりお猿みたいな恰好してやりはりますが、その都度々々にラッパにこつん\/と頭を打ちつけられます。私も他聞に洩れず、激しいところになりますと、一尺五寸のラッパにバチをぱん\/当てます。その都度西洋人がかん\/になってどなりつけます。四、五度もさういふことを繰返し\/しまして、漸く出来上りましたのが、今日お聞きになるこのレコードです。ずいぶん土蔵の暑い中で汗だくになって芸以上の苦心を致しました。
高安 貴重品ですね。津太夫さんのレコードは、この「堀川」の他に「白石」があったのですけれども、これは持ってましたけれども焼きました。だからこれは非常に貴重品ですね。大事にせんならんです。それぢやこれからそのレコードをかけていただきませう。

(_合ヒヤウシ 婿入り姿ものつしり\/と ・・・森をあてどに 三重 _たどり行く。)

高安 どうも残念ながらレコードが良くないので、眞相十分でませんけれども、私ら知ってる者が聞きますと、本当に故人そのままで、今にも長い顔のあごを振ってはるところが見えるようですね。三味線が殊にええ手がついておるし派手ですけれども、実際役柄から云ったらもっと地味なものの筈ですね。昔からこんなふうですかな。
友次郎 それは違うたのです。心中に出かけるのに、ずい分賑わしいですな。他の心中でこんな例はございません。昔できましたときは、極く地味なふしづけだったのです。それが只今のように派手なものに変って来たんです。それは天保時代、三代目紀州さんくらいな時代に只今の賑わしいふしに変わりました。この貧しい舞台名に拘らず、気持のいい東風といふやうに、京風を変へられましたのは 芸に力のある人が作曲されたものと思います。
高安 東風といふのは派手なんですね。
友次郎 初めは 西風でできたんですけれども。
高安 三味線の手も変わりましたですね。
友次郎 その方が舞台名には合うておるようですけれども、貧しい舞台名に、きれいな ふしづけしたといふことはよいと思ひます。
高安 それに乗ってやるとめちゃくちゃですけれども、やはり故人のように 澁うやりはるといふことがむづかしいですね。
友次郎 先代友次郎が、“猿廻し”を弾くのを、まるでやぐら太鼓をたたくつもりで、腕にまかせてぢゃん\/弾いてはいけない。徒に弾くと浄瑠璃の文句を消すことになる。徒にバチ数を多くすると、盲目の母親が眼あきに聴える。また孝行な息子が不孝者に聴えると、とにかく三味線をむやみに弾くよりも、浄瑠璃を弾けと、これが私の先代の戒めでありました。先生何かご感想ありましたら。
高安 結構です。
友次郎 それじゃ、これで終わらせていただきます。