太夫・三味線の系譜特集


竹本春子太夫(二代)

3代大隅太夫の門下、師の前名、春子太夫を襲名。昭和3年5月没。声はよくないが独特の節回し(春子節)を聞かせる。酒屋を得意とし、堀江座、近松座で伊達(六代土佐)と共に師大隅太夫を支えた。しかし、元々この人を含め座員が一枚岩でなかったところが、座の崩壊の遠因になったのではないだろうか。三代大隅なき近松座は、その後三代団平を中心に身振り浄瑠璃の興行に移行し、春子は京都で竹豊座を旗揚げした。そのレコードは新左衛門とニッポノホン、ビクター、その複写盤で出されている。

豊澤新左衛門(二代)

明治12年松太郎入門、明治31年二代新左衛門、昭和18年3月没。誰もがきれいな音の三味線と言った人。二代団平の弟子、大師匠の1人であり、二代春子太夫のあとに二代古靱太夫、五代錣太夫と組んでいる。新左衛門については初代道八がその芸談で思い出を語り、『義太夫SPレコード集成、ニットー編1』でも取り上げられている。レコードは春子、古靱、錣、素義とのもの(ニッポノホン、ニットー、ビクター)がある。