電車に揺られて着いた伊賀上野は、ひっそりとして素朴さがまだ残っている町であった。かって豊臣と徳川が対峙していた頃の前線に位置し、つわものの城はいかにも実戦的な石垣が残っている。また、有名な事では茶陶として最高のものの1つと数えられた伊賀焼、そして芭蕉もこの地で生まれている。しかし、このサイトに来る人の関心は街はずれにある鍵屋の辻であろう。荒木又右衛門が渡辺数馬に助太刀して敵討ちを行った所である。この事件を題材にいくつかの芝居や浄瑠璃が興行され、近松半二によって伊賀越道中双六が作られた。鍵屋の辻には敵討ちに使われた武器を展示する資料館が建ち、また側には数馬茶屋というものがあったけれど、当時の万屋が何処なのかは分からなかった。訪れたのはもう10年近く前の事であったので今の様子はどうであろうか。外から作られた情緒が小さな町も変えていく今頃である。とにかくあれ以上賑やかになっていなければよいが。本筋に戻って、大正末期から昭和初期に文楽座で伊賀越道中双六の沼津の段がよく上演されている。当時紋下の三代津太夫が十八番としたからである。(折しも、山城の復刻CDが発売されたところで、津太夫を話題にして大変失礼します。)レコードもいくつか出しているが、『悪声には悪声の味がある』の技巧を追求した逸品である。例えば、津太夫が淡々と語る老雲助・平作の詞や運びは我々の心に、子供が敵同士の縁になってしまったさだめを受け止めて命を賭けてしまう不器用で実直な平作の姿を訴えてくるのである。しかしながら、津太夫については素読だテツだの劇的空間が乏しいと批判も多いことは認めておこう。おそらくそれは、人の心(感受性)の歴史的移り変わりに関係していることだと思っている。中世における神や仏との契約によってなされた世界観の語り物から、江戸期を経て近代文学的な解釈や演出による山城の方法論で語られた劇的な義太夫へと至る人の心の歴史があったとして、三代津太夫のそれは前近代まであった日本的心の有り様のなごりを結果として表現しているのではないかと考えている。それは洗練された近代劇とは別の側面、文語体浄瑠璃の語り物として持つ一つのあいまいな魅力だと思うのである。
さて、特集2にお付き合いいただきありがとうございました。特集2の音源は歴史の中に埋もれてしまった非文楽系のものを取り上げました。特に三代大隅太夫は本の中ではよく引用される伝説の人です。その音源は多少反響があったようで、今回はメールもいただきました。大隅は想像していたより音遣いは少なく、自然な詞それに早口と独特の間で気迫を感じさせる人です。また、二代春子太夫は春子節といわれた節回しと新左衛門の三味線によって成り立った芸です。そうして見ると明らかに大隅と春子では芸風が異なり、別に内紛がなくても春子が大隅を継ぐことはなかったと思うのですが。三代大隅の芸は一代だけのものです。今回の特集2は平成2年 SPレコード観賞会(国立文楽劇場)第1回で残された検討事項『二代春子太夫・二代新左衛門』の役にたてばと企画したものです。今後の特集はいろんな観点で観賞会の項目に準じた順に進めようと思っています。次回の特集3は、仕事の都合で準備ができていませんので来年3月頃を予定しています。いよいよ三巨頭、先ずは三代津太夫の音源です。それから、特集について皆様の御意見・御感想などをいただければ、有り難いです。どうぞ宜しくお願いします。
2002. 12. 15 大枝山人