先日のトリノ冬季五輪開会式は、真冬の野外という悪条件の中で洗練された式典遂行やフィナーレの舞台など、さすがパクス・ロマ−ナ以来の祝祭文化の蓄積を見せつけた。同じく歴史のある文化国家日本であれば新時代にどのような開会式式典ができるだろうかと誰もが想像した事であろう。しかし日本的文化というものは単純に外見を見せるものではなく、内面の深い美しさを感じさせることこそが真骨頂と思うのである。そして、それは人の所作・言葉以外にも現象・景色や物の深層までも協調して魂の波動を訴えてくるのである。このあたりはアニミズムの名残りもあるのだろうか? 最近、書棚を整理していて、平成元年十一月公演の国立文楽劇場パンフレットで双蝶々曲輪日記 八幡里引窓の段に目が止まった。この浄瑠璃は私が第一に選ぶ至高の演目と思っているのであるが、十七年前には五世燕三師が奥を初役で勤めていた。そして玉男師の遣う南方十次兵衛の姿は未だに瞼に焼き付いている。話は中秋の名月の夜に八幡の里、(桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になるあたりに面し、都の裏鬼門にあたる石清水八幡門前の静かな土地であるが)、そこにある家で繰り広げられる人情劇である。老母、罪を犯し落ちのびてきた実子・濡髪長五郎、庄屋代官となった継子・南方十次兵衛、嫁おはや、これらの登場人物の内面にある複雑な愛情や疑念、葛藤、安堵感の揺れ動きを引窓の仕掛けでもって微妙に感じさせてくれる。引窓の段の詳しい解釈については、今まで数ある芸談や論考があるが、さらに丁寧に深部を探っていこうとする意欲的な引窓論を「音曲の司」にて読む事もできる。このように数多くの人を魅了する芸術品の中にこそ日本的文化の蓄積が示されている。我々はそれを誇りにするとともに、安易な事に流されることなく質の高い深遠な魂を追求する心を新時代にも伝えなければならないと強く思うのである。それにしても現代は人工の明かりが強すぎて月の光も魅力を失いかけている世の中であるが、エジソンが八幡の竹で電灯を完成させたのはまったく皮肉なことである。
さて、今回も特集におつき合い頂き有り難うございます。第10回特集では、壽式三番叟の昭和初期音源を聞いていただきました。祝賀の際に演じられるものですが、今年も正月に関西各地の行事で三番叟を見かける事ができました。さてこの音源は、戦時中の昭和十七年に発売された義太夫SPレコードで、ニ代豊竹古靱太夫と初代鶴澤道八による代表作の1つと言われているものです。壽式三番叟は特殊な演目ですが、この音源と、『道八藝談』壽式三番叟、浪花名物浄瑠璃雑誌 第四百十三号中のビクターレコード壽式三番叟の合評と同時代の鑑賞資料が揃っている事で大変貴重なものです。特集が終了後も移動して音源開示は継続しますので、十分御鑑賞下さい。次回の展示室並びに特集も、準備しておりますので暫くお待ちください。
2006. 2. 25 大枝山人