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公演チラシ

 新義座京都公演 昭和12年 8月11、12日 (B5版 両面印刷)

             


           

特集15 編集後記

 前回に添付した名刺の1枚目、二代野澤喜左衛門師匠の勝平時代へさらに遡ってみる。昭和11年2月、勝平師匠を中心に12名で新しい義太夫の会として新義座が旗揚げされた。新文楽座の興行形態から中堅若手の出番がないとかいった制度への不安が、文楽座からの独立という急進的な行動に走らせたのである。だが、この時の胎動は非文楽系興行との関連ではなく、内から新しく始まった拍動であるということに大きな意味がある。また、歴史背景として当時の法治国家が崩れ始めたという不穏な社会情勢から、贔屓筋がこの純粋な活動を支援することにロマンを感じた事も十分想像できる。そんな活動の一端を、浄曲新報40号(大日本浄曲協会誌 昭和12年4月15日発行)から記事を拾ってみる。

以下3面から引用:「来月三日から帝国ホテルで新義座の公演」 昨年は春秋の二回帝国ホテル演芸場で熱演し好評を博した新義座では目下東海道筋を巡業漸次東京に近付いているが、いよいよ来月3、4、5の三日間昨年同様ホテル演芸場で......公演することとなった。 以下4面から引用:「四月の新義座コース」 4日近江八日市町 5日近江彦根市大正座 6日近江長浜町日比座 7日岐阜県垂井町垂井劇場 8日岐阜県美濃町小倉座 9日岐阜県郡上八幡町八幡劇場 10日道中 11日尾張一ノ宮市花岡劇場 12日瀬戸市瀬戸劇場 13日 岐阜県多治見町豊岡劇場 14日 岐阜県恵那郡岩村町岩村劇場 15日岐阜県恵那郡付和町付和劇場 16、17日長野県飯田町大松座 18日岐阜県上岐郡駄知町陶栄座 19、20、21日 名古屋市中座 22日 愛知県大野町大野劇場 23日 愛知県常滑町普明座 24日 道中 25日 清水市栄壽座 26、27日 静岡市若竹座 28日 平塚市湘南キネマ館 休養期間後、5月3、4、5日東京帝国ホテル演芸場 5月12日より台湾各地 (注:予定表なので一部藝談と合っていないものもあり)

 移動してすぐに興行を打つのでこれを乗り打ちと言うらしいが、ほぼ毎日の移動と稽古と公演が続く大変過酷な旅であったようだ。そんな困難に立ち向かわせた胎動とはいったい何であったのか? 今にして思えば、これが新時代への継承の力であったのかもしれない。その後の変遷を見ると、素浄瑠璃が主であった新義座の活動は立ち上がり成功であったが、途中つばめ太夫・団二郎(後の八代綱大夫・十代弥七)が抜け、巡業の苦労もあり勢いは衰えて3年程で終息する。この時に小松太夫(後の四代越路大夫)は、一時廃業という挫折も味わっている。しかし、戦後に三業からなる三和会という形でもう一度胎動が息を吹き返し、活動は14年程続いた後に因会と再合流していく。昭和が終わって久しいが、関係者の方々の芸談を読み返せばこの胎動から生じた潮流の大きさと質を思い知らされる。ちなみに現体制では、昭和34年の嫩会(ふたばかい)結成が初心としての原動力となっているのであろうか。劇的な昭和の芸を回顧することは有益であるが、これからの新しい力を信じて若手や中堅の自主的な活動を支援することはさらに大切なことである。いつの日も、内なる胎動が途切れないことを祈念する。

さて、特集におつき合い頂き有り難うございます。特集については、当初に言及していたSPレコード観賞会の項目再考をほぼ一巡しました。三代津太夫の音源は、業界の情勢から商品としての復刻はないと思われますので、もうしばらく追加致します。その後は三巨頭を中心に取りあげる予定にしています。今後とも宜しくお願い致します。          

  2008. 6. 15 大枝山人