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左:浄瑠璃院本 一谷嫩軍記、右:敦盛草 (レブンアツモリソウ)

        


           

特集16 編集後記

         

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」は、あまりにもよく知られた平家物語の冒頭である。昔から、人々は四季の移り変わりに感情を移入して心情の有り様を感じてきたが、それとは別に節目節目に人としての道程や生きざまを感慨深く顧みてきた。物語とは、そんな到達点の一つのように感じる。

平家物語の巻第九には後の芸能に大きな影響を与えた敦盛最後の哀話がある。源氏の武将、熊谷次郎直実が平家の貴公子である敦盛を討った話であり、熊谷直実は敦盛に息子を連想して情をかけた。それをモチーフとして能「敦盛」、戦国時代に信長が特に愛好し「人間五十年下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり」と吟じたという幸若舞「敦盛」、そして浄瑠璃では有名な一谷嫩軍記が作られている。

余談であるが、熊谷直実、平敦盛に関しては、ゆかりの山野草もある。山野草の命名は、古典に題材をとったものも多いが、袋状の唇弁をもった花がつくクマガイソウとアツモリソウというランがある。平家物語絵巻に描かれている甲冑姿の人物を見るとよくわかるのだが、熊谷直実も敦盛も馬上で矢を防ぐために母衣を背負っている。そんな姿を花弁に連想させたものであるらしい。普通のアツモリソウの花は淡紅色であるが、北海道礼文島に自生するものは白色でより高貴な雰囲気を持つものがある。(レブンアツモリソウの写真は、山野草観察が趣味の叔父から拝借した。感謝。)

さて、一谷嫩軍記三段目の熊谷陣屋は、時代物のなかで大物中の大物と知られている。歴代の紋下クラスが節目節目に熊谷陣屋を語ってきた。熊谷陣屋は、本当に趣向がよくできている。「一枝を伐らば一指を剪るべし」の謎解き。平家と源氏の因縁。親子の情愛と葛藤。そして、全体には平家物語「敦盛最後」の世界観がある。「十六年もひと昔、アア夢であったらなあ」とわが子を身替わりにした熊谷直実の発心。人の人生回顧のごときものにも通じるのだろう。

物語と少し経緯は異なるが、史実でも熊谷直実は、出家し蓮生と称して法然の弟子となったという。法然は、期を同じくして新仏教を志し、叡山を下りて京西山の粟生(あお)に庵を構えた人である。この時の支援者が、蓮生ということらしい。庵は後に、粟生光明寺というお寺になり、現在は紅葉の名所ということで秋にはたいそう賑やかである。寺は幾多の戦乱と火災で焼失したが、ちょうど一谷嫩軍記が初演の頃に本堂を再建しているのは、なにやら死後も熊谷直実が手助けしているのであろうか。

 今回も、特集におつき合い頂き有り難うございます。誠に申し訳ありませんが、サーバー容量の関係で展示室の更新は延期しております。順不同となりますが、環境整備ができ次第ということになります。今後とも宜しくお願い致します。

      2008. 10. 14 大枝山人