先日、かなり駆け足であったが、沖縄県立博物館で特別展「琉球使節、江戸へ行く!」を観る機会があった。展示チラシ説明によれば、江戸時代に琉球では、将軍や国王の代替わりに、慶賀使・謝恩使を江戸に派遣するようになった。琉球使節団は、その片道約2000kmにおよぶ旅の途中や江戸で様々な交流を行った。展示では、琉球使節団の旅の記録や関係資料などを中心に、薩摩支配という状況で限られた自立を模索した王国外交や琉球使節による旅先での交流の様子がうかがえるものであった。
中には、琉球使節と芸能に関するコーナーもあった。宝永七年(1710)と正徳四年(1714)に江戸に派遣された使節団の中に、のちに琉球の劇聖といわれた玉城朝薫(1684〜1734)がいた。朝薫は、総地頭家に生まれ、年少より諸芸・舞踊などの修練を積み、島津公の命で仕舞披露もしている人である。江戸に派遣された際には、大坂、京伏見、江戸で人形浄瑠璃や能狂言、歌舞伎を鑑賞し、大和芸能にも通じていたとされる。近松門左衛門(1653〜1724)や、竹本義太夫(1651〜1714)とは、まさに同時代である。
後年に朝薫は、中国使節の接待役である踊奉行になり、琉球古典音楽を基に組踊を創作した。五つの組踊作品は、朝薫の五番といわれるもので、大和芸能の影響も見ることができる。その一つ「執心鐘入」は、道成寺説話のモチーフを巧妙に取り入れたものである。人形浄瑠璃でも、復曲公演がテレビで放映された近松作「用明天王職人鑑」や初春公演の「日高川入相花王」も道成寺の世界を写している。安珍と清姫で有名な道成寺伝説は、古くは今昔物語にも類似の説話が収録されており、日本のほとんどの古典芸能と結びついている。展示をきっかけに改めて文献を読み直す機会があり、遠い昔の文化伝播の拡がりや相互の影響などに驚くと同時に、それをいかして創意工夫した先人に対して敬意を感じずにはいられなかった。
参考: 沖縄県立博物館特別展チラシ「薩摩の琉球侵攻400年 琉球使節、江戸へ行く! 〜琉球慶賀使・謝恩使一行2,000キロの旅絵巻〜」、博物館常設展示、組踊入門(宜保榮治郎)、組踊がわかる本(大城立裕)、道成寺 〜古典芸能図録〜
さて、特集におつき合い頂き有り難うございます。今回も、六代竹本土佐太夫を取り上げました。旧録音のものは、音質も悪いので参考程度のものですが、何か感じて頂けたらと思います。特集は、次回の企画等検討していますので、しばらくお待ち下さい。今後も、宜しくお願い致します。
2009. 12. 30 大枝山人