中学生の頃、FMラジオで放送されていた音楽番組の公開生放送に出かけたことがある。当時、地方のラジオ放送はおおらかで事前申し込みなど細かいことは言われず気軽に参加することができた。番組見学もオープンで、司会の新人アナウンサーとも気さくに話した事を思い出す。番組はその頃の良き思い出となり、そのアナウンサーの動向も身内のように気になったものである。
もちろん放送の中心は、ラジオやテレビの前に居る視聴者であり、いろんな状況の人につながることであるが、放送に立ち会うことは、不思議な気分をもたらす。自分は、視聴者であり、同時に客という名札を付けた番組スタッフでもある。その特性をネットが引き継いでいるのかもしれないが、放送での強みは質の高い現場主義である。特に芸能ファンであれば、名演技の放送現場に立会うことは、強く心に刻まれることであろう。
先日の十三回文楽素浄瑠璃の会では、桂川連理柵 帯屋の段を堪能した。笑い薬の祐仙と同じようにチャリでの儀兵衛の可笑しさはたまらない。だが秀逸は、年寄りの自然な語り。繁斎は隠居した身なれど、まだまだ跡取りをかばい、主の心得を諭す。その有様は、じわりと心にしみる。賢い女房にも恨みごとをもらい、ふがいない長右衛門に感情移入するうちに、お半の書置き、「なまいだ」と過去のフラッシュバックにじりじりと追いつめられてしまった。
今回、座席後部では、テレビカメラが素浄瑠璃の収録をしていた。せいぜい大きな音をたてないように、視界を邪魔しないように気になったが、いつもの公演より、なんとなく得した気分を感じたのは私だけだろうか。放送の権利関係や視聴率など難しい話もあるのであろうが、公演収録や中継に遭遇するのも良い刺激になる。
さて、特集におつき合い頂き有り難うございます。今回は、四代仙糸の道行を取り上げました。名庭絃阿弥の教えの継承者であり、三代団平の道行の時には必ずその二枚目を務めた人でもあります。仙糸は、その到達した境地とは裏腹に、戦後の極貧の中で孤独な最後となりました。不世出の人といえども、活躍できる場を失った事は不運でした。のちに仙糸のことを伝え聞いた山城少掾が、関係者の誰一人知らなかった最後を大いに嘆いたという事です。それでも、音源が残ったことは、遠く離れた我々に、仙糸の芸さらには仙糸が授かった教えを知る手がかりを示してくれるのです。通常の演奏では省略される部分もあり珍しいものですが、芸談などの参考になればと思います。次の企画も検討していますので、しばらくお待ち下さい。今後とも、宜しくお願い致します。
2010. 7. 13 大枝山人