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近松二百年祭記念絵はがき 用明天王職人鑑の挿絵

                   


特集26 編集後記

              
 文楽協会補助金の問題から発した文楽をめぐる騒ぎが一向に収束しない。とうとう住大夫師が体調不良で入院する事態にまでなってしまった。くれぐれもご自愛いただくようにお見舞いを申し上げます。当方としても、文楽の芸の継承と行く末について漠然とした不安を抱きながら、何とか危機を好機に変えてもらいたいと願っている。ようやく市の開示資料についても目を通すことができたので、文楽協会に何らかの情報発信を期待しつつ、ここで鑑賞者の一人として意見を述べておきたい。

 先ず、時代背景として、1963年に財団法人文楽協会が設立し、公的支援を伴った公演によって文楽の保存・振興をはかる「文楽協会創生の時代」が始まった。当時の協会関係者による不撓不屈の経営努力によって新しい体制が立ち上がるが、専用の小屋を持たないため固定費が重く御苦労が続いた。そして1984年に悲願の本拠地国立文楽劇場が開場する。この時、文楽協会の多くの機能が劇場に移行して、「国立文楽劇場運用の時代」が始まる。また、縮小した文楽協会は三業の契約と地方公演の担当として伴走し、現在に至る。2003年、劇場は行政改革で独立行政法人日本芸術文化振興会となり、事業の公共性と効率化の両方を追求するという「再編の時代」に移行したと考えられる。その後、さらに学術や文化に対する資金供給が世界的な不況の影響下で逼迫し、資金助成や補助方法対してPDCAの徹底など精査見直しということが大きな流れとして起こっている。

 今回、市は文楽協会補助金の見直しにあたり、コンサルタントを中心として文楽協会事業やその背景にある文楽組織の成り立ちを丹念に精査し、地方における文化行政のあり方の基準を決めた上で、文楽協会に向けた提案をHPに公表した。市の案は、文楽協会のマネジメント・プロデュース機能の強化、公演の売り上げから手数料を還元する仕組みによって文楽組織の活性化と文楽協会の自立、人材育成と収入配分の見直し、文楽協会と文楽劇場及び技芸員の連携強化と文楽振興の責任の所在の明確化などといった組織の近未来像を語っている。一般的にこれらには2つの疑問があるだろう。1つ目は、伝統文化の世界では重いことであるが、無形文化である至芸は、固有の生活や人の繋がりのなかに生きている。せっかく協会体制を新しく作り変えたとして、技芸員の周辺にある芸系を守る慣習も大きく影響を受ければ、至芸の衰退が加速してしまうという危惧である。2つ目は、現在の事業の中心は日本芸術文化振興会の中期計画なのだろうから、次の中期計画の作成に向けて話し合いができるのかという点である。また、振興会は、文楽の制作に関わる多くのリソースを保有している。特に市の案の実施過程と1つ目のことが相反することが予想される。解決法としては、段階を踏んだ前向きな取り組みと相互理解による歩み寄りが必要なのではないか。

 1つの案として、技芸員代表、振興会代表、劇場制作、文楽協会事務局、府市代表が集まって文楽コンソーシアムが作れないだろうか。籍を変えずに共同作業を始めることができ、機能を持たせた集合体になる。文楽事業全体の統合を目標として、文化庁あたりに助成・補助を要望して共同組織を作り、リソースの共有をはかるということである。保存と振興のバランスや各組織の連携、地元大阪との関係、学校教育や観光・コンテンツ分野への協働などについて、コンソーシアムの中で劇場専門家を交えて検討してはどうであろうか。また、実社会にあわせて文楽関連組織の情報公開のあり方についても整理されることは重要である。以上、甘いとお叱りを受けるかもしれないが、「運用の時代」に入った時に組織機能が分散し、「再編の時代」になり全体として文化保存と振興のめりはりが気になってきたのであれば、現在の対峙したままの状況では歴史的な解決はできないように思う。

 判断材料について報道や開示情報が主体ですので、理解不足があればご容赦ください。また記述に誤りがあれば、速やかに訂正致します。 尚、次回特集は準備中です。  参考:創立二十五周年を記念して 文楽協会、 今日の文楽、 大阪市HP(大阪市政)


2012. 7.21 大枝山人