摂津大掾に次いで明治の義太夫界を代表する人物といえば三代大隅太夫であろう。大名人二代団平による厳しい修業で鍛えられた。その逸話として例えば、蚊帳の中で横になっている団平と不眠の稽古をしたことが『文楽今昔譚』には引用されている。この人の一生をみれば、生きるのに随分不器用な人であったのだろう。しかし、だからこそ終わりのない修練のなかで名人となったのだと思うのである。数少ないレコードしか残っていないが、その音曲以上に日本人の一典型として、人物に感動を覚える。
三代大隅のレコードでは三味線が三代清六と、三代団平のものが残っている。三代清六のものは未見であるので、ここでは団平との三部作を取りあげた。尚、レーベルは読みやすいように多少画像処理をしている。
持ち前の写実で人気を集めた大隅太夫であったが、大正2年4月に菅原伝授手習鑑 道明寺の段で近松座を退座し、大正2年7月に65歳で巡業先の台湾にて逝去。多くの人がその死を惜しんでいる。以下関連資料。
その他、参考文献: 『義太夫年表大正篇』、『今日の文楽』