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七代駒太夫 

七代豊竹駒太夫関係のものを展示します。二歳の時に失明、その後の並々ならぬ修練で名跡・駒太夫を継ぐことになりました。得意の世話物は後進に少なからぬ影響を残しています。


        

番付(土佐太夫編 伽羅先代萩再録) 大正3年 四代富太夫改め 七代駒太夫

大正3年5月 戀娘昔八丈 鈴ケ森の段 豊竹駒太夫、鶴澤三二 名前替の披露。 御霊文楽座にて。

SPレコード1 大正期ニット−

大正期旧録音 ニット−レコード 三勝半七酒屋と時雨の炬燵 豊竹駒太夫・鶴澤才治 大正14年頃。10年程前に義太夫SPレコード集成 ニット−篇2としてCD復刻もされている。この企画の再開が待たれる。

SPレコード2 昭和期ビクター

昭和期電気録音 ビクター黒盤 柳 駒太夫・才治。

番付 駒太夫

昭和16年4月 これは名前の載った最後の番付である。戀飛脚大和往来 新口村は南部太夫・伊達太夫が代役を勤めた。

                

雑誌 文楽(戦前)から訃報記事

駒太夫は3月公演が打ち揚げ後、昭和16年3月31日急逝。この年は引退していた六代土佐太夫や、紋下三代津太夫も鬼籍に入る。

参考 文楽(戦前)最終号表紙

雑誌文楽、内容は文楽座や素義会のニュースや評、研究記事として浄瑠璃素人講釈の復刻を載せる。昭和16年4月 第48号、文楽はこの号で休刊し、浄曲往来(休刊待機中)と合流して文楽芸術となる。