戻る

                     

劇場の近代化

      

 欧州において近代劇場誕生の歴史があるが、劇場空間には、機能、建築様式、国家体制、国民性、生活様式など様々なものの影響を見ることができる。さらに空間には、構造物だけでなく劇場が用意したサービスや無形の固有文化が血液のように流れている。さて、日本の芝居小屋や劇場の歴史については既に幾つもの論考があるが、文楽人形浄瑠璃における劇場の変遷で、歴史上重要な事件は大正15年11月の御霊文楽座の焼失ではなかろうか? 特にこの時期は大正・昭和初期の国家体制の確立に関連しながら、米欧との外交や大陸経営などの国際的誇示、国民の生活様式の欧化の中でより近代的な設備を持った劇場が迎合された。そして新しい文楽座として、近代経営の合理主義や話題つくりにも合致して、昭和5年初春に四ツ橋文楽座が開場した。この時には経営的な視点から、上演形態(時間や見取り形式中心へ)の変更も実施されている。しかし、ここで従来の小屋とは別のものに大きく変貌を遂げ、新しい劇場空間の構造や劇場サービスの原形が現代に繋がっていったと考えられる。 以下に、御霊文楽座、内子座、四ツ橋文楽座の概観を紹介する。
         


       

御霊文楽座

明治17年〜大正15年 船場平野町御霊神社境内(出火にて焼失)

御霊文楽座正面 (写真は、文楽人形芝居の研究 宮島綱男著より)

                

                       

御霊文楽座内部 木造2階建て 1階 平土間の枡席、出孫(高土間)、両側桟敷席、2階席 収容人数750人程度 (写真は文楽人形芝居の研究 宮島綱男著より 文楽芸術第13号表紙にも掲載 文楽社 昭和17年11月 以下表紙解説より抜粋) 御霊文楽座明治35年9月興行 植村家座主時代の「源平布引瀧」宗盛御船の段の舞台稽古の情景 舞台上、櫂を持っている斉藤實盛の人形遣いが初代吉田玉造、船の下の小まんを遣っているのが吉田栄三、平宗盛は桐竹政龜、飛騨左衛門は吉田多為藏。床の太夫は實盛が文太夫(後の三代津太夫)宗盛は源子太夫、左衛門は南部太夫、忠太は富太夫、小まんは司太夫。土間右手前の横向きの中年婦人は植村大蔵氏の内儀お鹿さん。

                        

                     

参考: 内子座(許諾を得て管理人撮影)

大正4年〜 愛媛県喜多郡内子 内子は和紙と和蝋燭の製造で繁栄した町で、松山から予讃線特急で約30分のところにある。内子座は、公演パンフによれば、松山にあった芝居小屋新宋座を模したもので、大正期の建造の特徴として一部は和洋折衷となっている。近代化と高度経済成長の中でも、内子座はなんとか取り壊しを免れ篤志家や町民の尽力にて復元修繕され再び劇場として利用されている。始源的な魅力を感じる事ができる空間である。

内子座の内部 (1階鳥屋口から正面方向) 木造瓦葺き2階建て入母屋造り 1階 平土間の枡席、高土間、両側桟敷、2階桟敷 定員650人 

      

                             

平土間枡席 (右上が正面舞台)

         

                                  

1階、2階の桟敷席(左手が正面舞台)

                 

                 

四ツ橋文楽座

昭和5年〜昭和20年 島之内佐野屋橋南詰(戦災にて焼失)

四ツ橋文楽座正面看板 (文楽人形芝居の研究 宮島綱男著より)

        

                              

四ツ橋文楽座外観と内部・正面から見た客席 (写真は、文楽人形芝居の研究 宮島綱男著より) 外観は東洋趣味を加味した近世式、地上2階と地階の鉄筋コンクリート造、正面は茶褐色のタイル張。内部・天井は御殿造りで防音防火仕様、平土間は椅子席、1・2階桟敷、2階正面は高欄付き貴賓席、地階に機関・設備室。 (解説文は、浪花名物浄瑠璃雑誌「文楽座の改修成る」 第二百八十六號 昭和四年十二月) 

追記:改修とは、非文楽系の旧・近松座を改築したという事である。近松座は、明治45年開場、煉瓦造り2階建、屋根はルネッサンス式、内部は檜造りで730余名収容、貴賓室、化粧室、売店、案内所、携帯品預かり所などを完備し、人形芝居で初めての近代的な劇場であった。(外観と内部写真は、義太夫年表大正篇の近松座の項を参照ください) 

        

                         

四ツ橋文楽座座席表 昭和5年10月興行番付・床本巻末より 収容人数約850名 主な構成は、1等椅子席3圓、2等1圓50銭、3等80銭、1等座席3圓50銭、貴賓席。その他に、西2階に宴会向け洋食堂と酒場、西1階に一般用和洋食堂。東1、2階に休憩室と売店。さらに手洗い(特に外国人向けを新設)、化粧室、喫煙コーナー、携帯品預かり所、案内人配置等、近代的な設備とサービスが提供された。

入場券半券

             

                                


終わりに。 確かに、劇場空間の構造やサービスは芸道とは別の側面で興行を支えるものである。昨今、劇空間の提供については、公演内容の理解、シネコン並の椅子、上演形態、チケット入手法、などいろんな要望もあるであろうが、高い見識とリーダーシップで興行主が長期的な方向性を判断していくべき事は、歴史からも読み取れる。ただし、短期的な興行成果の数字が先ではなく、興行主は次世代の人形浄瑠璃、義太夫の魅力にとって何が最重要かという事を常に自問自答することが必要なのである。

                    

参考:私説昭和の文楽、今日の文楽、文楽第3巻1号「御霊文楽の思い出」、浄瑠璃世界第281号「焼失後の文楽座について」、文楽雑話、第2回・第3回内子座文楽パンフレット、文楽鑑賞モノグラフ「文楽の劇場と舞台」、江戸歌舞伎、大いなる小屋