明治大正期の名人である六代廣助は、晩年の摂津大掾の相三味線として有名である。元々は、彦六座の幹部であり、芸道に生きた人であった。古老に相応しく引退後も後進の指導にあたり、稽古での厳しさは伝説になっている。例えば、三宅周太郎著 文楽の研究の故名庭絃阿弥の話、文楽総稽古の話などで拝察できる。多くの人が芸談の中で師に対する恩を回顧している。引退後には名庭絃阿弥の名を、近衛家から受けている。大正十三年三月逝去。
襲名や追善は、見事な芸の継承のしくみである。もちろん、それに伴う厳しい義務や倫理と、付き合いにおける経済的な負担は大変ではあろうが、興行上も大きな推進力である。観客としても、表の華やかな面は愉しみ事であるが、観客も芸の継承に参加していることは、後年少しずつ実感する事なのだろう。
参考:演劇百科大辞典、義太夫年表 明治篇、義太夫年表大正篇、六代竹本住太夫、文楽談義、文楽 創立二十五周年を記念して、今日の文楽、文楽の研究