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義太夫の石塔

 今回は、80年前の雑誌から石塔にまつわる記事を紹介する。今年は、竹本義太夫300回忌の年だそうである。また、正月に劇場ロビーで呂勢大夫さんらがチラシを配っていたが、石塔修復のための勧進特別公演も企画されている。先師を供養するとともに、創始期にゆかりの石塔類を貴重な文化遺産として大切に受け継ぎたい。



      

竹本義太夫二百二十年忌

浄瑠璃月報第十一巻題一号、第二号合本(昭和九年四月十五日発行)より  昭和八年十月二十七日午後一時から初代竹本義太夫の二百二十年忌が超願寺にて営まれた。記念撮影には、三巨頭らの顔もある。追善行事では、法要、初手向として近松作「蝉丸」道行の段、木谷蓬吟氏講演、手向「国性爺合戦」楼門の段、義太夫関連の品の展観などが行われた。 

              

記念葉書 

義太夫肖像(再録)

義太夫墓石

蝉丸詞章

          

石塔移転工事1

浄瑠璃雑誌第三百二十五号(昭和八年八月二十日発行)より  昭和八年、四天王寺西門の道路拡張に伴い法華堂裏の無縁墓碑数百基の整理があり、並木五瓶の墓碑が見つかった。さらに調査した所、義太夫の供養塔、初代豊竹若太夫、竹本播磨少掾(初代政太夫)、豊竹筑前少掾(初代此太夫)等八基の石塔が発見され、大阪因会の手により同年七月二十、二十一日に移転工事が行われた。写真は、古靱太夫(山城少掾)や文字太夫(先代住太夫)らが立ち会って、経文が納められていた筑前少掾の石塔を入念に調べた様子である。

              

石塔移転工事2

浄瑠璃雑誌第三百二十六号(昭和八年九月三十日発行)より  豊竹筑前少掾(初代此太夫)の石塔内から、少掾と妻女の書き写した法華経が発見された。当時から百八十年前のものであったが、染み虫食いもなく綺麗なままであったそうだ。

          

記念葉書説明(雑誌口絵写真版から)

浄瑠璃雑誌第三百三十二号(昭和九年五月二十日発行)より  石塔移転を記念して葉書が作られた。左上の第一が、竹本播磨少掾(初代政太夫)が床で使用していた腹帯と経典を納めたと伝わる曲帯塚である。第二は、前述の豊竹筑前少掾(初代此太夫)石塔。第三は、竹本播磨少掾肖像。第四は、二代目竹本政太夫曲名譲渡書(古靱太夫所蔵品)。第五と第六は、前述の豊竹筑前少掾夫妻写しの経文。その他に番付等、計10枚もの。 尚、第一にある曲帯塚が昨年七月に半壊してしまい、修復が必要となっている。