太夫・三味線の系譜特集


豊竹古靱太夫(二代)

法善寺の津太夫(二代)の門下、昭和34年1月引退、昭和42年4月没。いわずと知れた豊竹山城少掾、昭和期前半を代表する名人であり、近代義太夫を代表する人である。音遣いと風の尊重により写実的でしかも品のある義太夫を語る。その生涯には数多くの音盤を残している。特に大正後期から昭和初期にかけてニットー、ビクターやコロンビアから数多くのすぐれた段物SPレコードがある。これらのすべてではないが復刻としてビクター盤『至芸 豊竹山城少掾 LP集』、コロンビア盤『芸聖 豊竹山城少掾 LP集』、ニットー盤『義太夫SPレコード集成 CD集 国立文楽劇場』『国立文楽劇場上演資料集 付録CD』がある。またビクター盤は、最近CD集として復刻された。雑誌への寄稿や著作、聞き書きも多く、これらが観客に対して芸の理論を説明する機会になったと考えられる。代表的なものは、『文楽の鑑賞』、『山城少掾聞書』、自伝として『古靱芸談』、『山城少掾自伝』がある。また、評伝『昭和の名人 豊竹山城少掾 魂をゆさぶる浄瑠璃 渡辺保著』は現代風に読むことができる1冊である。

鶴澤清六(三代)

二代鶴澤鶴太郎門。大正11年1月没。もはや伝説の名人である。撥さばきだけでなく、そのいきは鑑賞者の呼吸をも支配する。二代団平-三代大隅太夫-三代清六-二代古靱太夫とつながり合流した写実・風の尊重・原作の理知的解釈といった芸の流れは特に指摘されている。三代清六その人のエピソードは『文楽聞書』の中の鶴澤叶・聞書に詳しい。また、古靱太夫の著作や文楽の解説書(例えば『改修文楽の研究』その2、1 初代、二代目古靱太夫及び故清六の話)等でも古靱の恩師として度々触れられている。二代古靱太夫とニッポノホンやニットーから多くの音盤を出している。また、三代大隅太夫とのレコードも残っている。